2017.4.9

齋藤孝の「新聞力」という本を読む。サクサクっとあっという間に読めて、即座に真似したくなることばかり。”新聞整理ノート”を作るっていうのと、4コマ漫画を200字でまとめる、というのが面白そうで、早速スクラップブックを買いに走る。でも、実際自分の興味があるものって偏っているなと今までただ、切り抜いていたものを並べてみて痛感。でも、そこにコメントや質問を加えてみればまた違ったものになるのかな。さて、いつまで続くか分からないけどやってみよう。切り抜いて貼る、という作業自体楽しい。

2017.4.8

先日朝、起きてみると右の頬の上が痛い。鏡で見てみると傷がついていて血が滲んでいる感じでヒリヒリする。なんだろう、自分で引っ掻いたかなと思う。そして翌々日朝。今度は左頬の上、ほぼ前回と同様部分の場所に同じ様な傷が出来ていて思わず「かまいたちの仕業だ」と口にする私。子供は、なにそれ?どうぶつ?とか言っている。傷ができる様な心当たりもないし、、やっぱりかまいたちでしょう。

2017.4.7

来週がいよいよ入学式。着る服も地味だし胸にコサージュでもあった方がいいのかなぁと今更考え、ネット検索するもネットショッピング自体が苦手だから(情報量が多すぎて)もう途中でイヤんなってしまって投げ出す。でも、その辺で適当なものを買うのも違うなと思いさてどうしよう、あ、作ってみればいいのかーと思い立ち、初めてのグルーガンと材料を買いに行く。作り始めたら楽しい!なかなかの出来に調子を良くして子供の分のコサージュも作り大満足。

2017.4.6

誕生日プレゼントで妹が送ってくれた「アラヤシキの住人たち」をようやく観る。長野県の小谷村の真木いう所(行くまでに山道を徒歩2時間)で色々な人たちが共同生活をしている、真木共同学舎。その四季の移り変わりとそこに住む人たちを撮ったものなんだけど、自給自足の生活と自然は本当に厳しい(豪雪地帯)のだが、終始ほのぼの感漂う。生きづらさを感じている人もそうで無い人も、お互いに”もう、しょうがないなぁ”という感じで、自己主張しながらも相手を認めているからなんだろう。どんどん偏ってしまっているこのご時世に沁みる映画だった。

2017.4.5

NYタイムズの3月11日付抄訳を読んだ。「あなたは、インターネットのしもべだ。メールやTwitter、Facebook、Instagramを頻繁にチェックしたい衝動に支配されている。ネットはあなたを殺さないが、小さな画面にたえず集中することを強いる。配偶者や友人、子ども、自然、食事、芸術といった昔ながらの恵みを、常に気が散っている状態で感じざる得なくなる。」確かに心当たりがある。なるべく子どもと一緒にいる時は見ない様にしよう、と思ってもついつい、とか気付くとあっという間に時間が経過していたりとか。そういった時はきまって虚しさだけが残る。この切り抜きは壁に貼っておく。

2017.4.4

洗濯板の優秀さに感心している。目も当てられない様な泥汚れ。一体どんな遊び方をしたらこんなになるの?ビニール袋から真っ黒の上下、靴下(下手するとおパンツまで)が出て来た時の軽い絶望感。でも、洗濯板でゴシゴシすれば、ビックリするほど汚れが落ちるから、本当に重宝している。昔ながらの道具が残っているのには理由があるんだなぁ。

2017.4.3

一ヶ月以上前に旅行先から送ったエアメールが届いた、と実家からメールが来た。子供が”いかにも”って感じのポストカードに可愛い字で書いたものだったが、到着しないという事でもう半ば諦めかけていたから、出したこっちも嬉しい。しかし、飛行機でもたった3時間ちょっとなのに、何故にこんなに時間がかかったのだろう…お国柄!?不思議だ…

2017.4.2

今月から日曜日は新スタッフがお店に立ってくれる事になり、私は(基本的には)お休みできる事に。日曜、祝日なんてほぼ(何らかの事情がない限り)休んだことがなかった為、落ち着かない…。そして(日曜休み)初日だってのに考えられないほどの納品の山。なんて無計画なんでしょう私…。伝達漏れもあったりしてスタッフにはほんとに迷惑掛けちゃった。ちゃんとせねば、と、また一人大反省会。

2017.4.1

約一年ぶりにKUROSAWAファミリーが来黒。姉弟に会えるのを楽しみにしていた我が子。お姉ちゃんは非常に面倒見がいいので大好きで、弟君は同い年でこちらは異常に優しいから大好き。仲良く遊んでもらって、ずっと出来なかったUNOも教えてもらい、自信満々に。私はというとKUROSAWAさん達の眼差しが子供達が愛おしくてしょうがないという風に見えるから、それを目の当たりにするだけでも幸せな気分になる。更に奥様がほんっとに出来た人で、毎度会った後は自分を大反省するのでした。

2017.3.31

『物語が生きる力を育てる』という脇明子著の一部抜粋のコピーを母親から渡される。読んでみると”優れた児童文学の中には、自然にさまざまな不快感情を味わうことになるものがたくさんある。(中略)子どもにいろんな不快感情をわざわざ体験させるわけにはいかないけれど、物語なら多様な体験ができるということ。(中略)そんな物語に出会っていれば、現実に似たような出来事にぶつかったとき、たとえ対処の仕方の参考にはならないとしても、「いつかは抜け出せる」という希望を持つ助けくらいにはなるはず” こういった感情を知っているか否かでだいぶ心持ちは異なる気はする。物語に(色んな意味でも)救われることはいっぱいあるなぁ。