2020.2.1

一昨日はスタッフがサロンドゥショコラというイベントへ出掛け、びっくりする程美味しいチョコレートをお土産にと言ってくれた。そして昨日は友人が手作り“押しかけ女房弁当”という名の全然押しかけでもない、むしろ“ありがたや弁当”を差し入れしてくれ、続けて今日はまた別の友人が混ぜご飯の激ウマ弁当を差し入れてくれ、連日美味しい嬉しいで感激しきり。言葉のみならず生かされているな〜と思うわけで。

2020.1.31

今まで使っていたHPサービスがあと数十分?で終了となる。奇しくも英国のEU離脱日と同じ日(大袈裟)。何かが大きく変わる訳ではないし、最近の使い方は、ただ、この日々の雑記を更新する位だったのでそんなに大きな感慨も湧かないような、新しいHPサービスになった事で、随分昔の自分の投稿を見る事にもなったりして懐かしさも込み上げてくる様な、何だか変な感じ。英国の人たちもこんな気持ちなのでしょうか(土俵が違い過ぎるだろ!という声が聞こえる…)

2020.1.30

久しぶりの井戸端婦人会。那須の山々に粉糖がかかったような真っ白の美しい景色と青空に見惚れ過ぎて事故りそうになる。早々に集合したものの、あれやこれやと話は尽きずとにかく時間が足りない!子供のこと、健康のこと、旅のこと、お互いのトンチンカンな失敗の数々の話、などなど。それぞれが日々を楽しみながら悩んでいるのが分かって笑えて笑えて仕方ない数時間。頬筋痛い。

2020.1.29

子どもの合唱部、【六年生を送る会】へ出席してきた。先生の作ったプログラム通り、進む会ではあったが、全員(と言っても20人いるかいないか位)での歌声は鳥肌もの。最後に二人きりの六年生からそれぞれ挨拶があったのだが、こんな風に何も(メモ等)見ず多勢の前で話せるのか…という感心と、気取らずに後輩達に“語るように”話す二人に感動の嵐。涙止まらず。我が子は何かにつけてこの二人の様になりたいと羨望の眼差しで部活動に参加していたから、寂しくて仕方ないだろうな。憧れが近くにあるって良いね。

2020.1.28

武田砂鉄と又吉直樹の往復書簡【無目的な思索の応答】を読む。なんでこんな風に言葉を拾いあげられるのだろうかと唸る。いくつか上げたいテーマだけでも「リアルってなんや」「偶然ってどこから」「不便を残す」「でしょー」「池谷幸雄である必然性」:人間の話って、起承転結があるわけではなく…(中略)話の構成要素が極めて少ない。相手の話にレベルを求める現在の態度こそ、想像力も話力も文章力も衰えているのではないかと、時折、落ち込むのです:他にも引用としてアナキストの大杉栄の言葉“自我の大部分は他人の自我である”というのも目から鱗。

2020.1.27

またしても救世主現る(忙しいでしょうに、すみませんと思うが命拾いした)。先日も友達と話をしていて、何か自分が分からない事や、苦手な分野があったとして、それをネット上で探すとか、教授してくれる人を探して対価を払う、そういった人も勿論いるし、それを生業にしている人だって多いけれど、自分たちにはその発想が無いよね、と。周りで誰かしらに声を掛けてみたら意外とどこかで繋がって、という方が顔がわかるし、安心だし、対価を払うのだって百倍良い気がする。しかし、私ときたら助けてもらうばっかりで申し訳ないのが正直なところ。