2018.11.10

子どもの文化活動発表会。今年は九九レンジャー(という二年生定番の出し物!?)。可愛過ぎるのと、演出の面白さと、子供達の一生懸命さに心が洗われる思い。笑わせて、泣かせて、まったく先生たちの力量って凄い。これを短期間でやるんだからホントにスゴい。私は一年生の出し物で涙。合唱部の歌で涙。我が子には色んな意味で必死過ぎて(目でもみたいし、ビデオ撮らなきゃだし)なかなか落ち着いて見られないという実情。

2018.11.9

久し振りにミシンを出してひたすら縫い物の夜。イメージしていたものが形になる喜び。自己満足だから出来るようなもので、製品になる様なものを作っている人達には尊敬の念しかない。ほんとはもう少し早く終わって、映画を観る予定だったが叶わず、その代わり読みたかった温又柔と、いとうせいこうの本も読めてなかなか良いひとりの時間。

2018.11.8

あの人に会える、となったらウキウキする、とかドキドキするというのは老若男女関係がない。そういう風に思われる人になりたいものだなぁ。どよーんとするのは(させるのだけは)嫌だ。自分がそう思える人は大抵、自己完結できている人。他人に楽しみを依存しない人。(全てにおいてそういった人)。有り難いことに、周りにそういう気持ちの良い人が多いので、エッセンスをもらいつつ見習いたい。

2018.11.7

子どもの8歳の誕生日。生まれた時はただの赤ちゃん!?だったのに、九九まで唱えられるようになっちゃって…と朝から感慨にふけってしまう。健康でこうして毎日アハハおほほと過ごしていられる事は奇跡に近い事なんだよなぁとも思う。正直、今が一番良いと毎日思っているから、悲観も楽観もせず毎日全力でいきたいもの。いつも見守ってくれている周りの人達に改めて感謝の誕生日。

2018.11.6

少しずつ冬に近づいている中、朝顔の鉢の中に溢れたであろう種から、ふたばが出てきたり、またその鉢の隅に置いておいた多肉植物からぴろーんと黄色くて小さい花が咲いていたりするのを見て、生命力の強さをひしひしと感じると共に、申し訳無さでいっぱいになる。しかし、多肉植物の花ってほんとに華奢で可愛らしい。

2018.11.5

誕生日に子どもがもらった図鑑を真剣に読んでいるのは、何を隠そう私。知らないことが多すぎる!幼少期は自分も知っていたのかな、忘れてしまってるだけなのかな(そうであって欲しい)。ま、どちらにせよ、知らなかった事、曖昧だった事、知ったかぶりしていた事をキチンと知れることは楽しいもの。こういうこと一つとっても、生き直し!?成長し直し!?させて貰っているようでありがたい。

2018.11.4

先日来店した三歳児のお客様に負けじと、我が子のボキャブラリーもツボ。神妙な顔をし、おじいちゃんに向かって「なんだか ふけつな よかんがする…」と言う。???「不吉な予感」ね。一文字異なるだけでこんなに面白いの。又、少しシリアスな話をしていたら「そんなことになったら わこ まどから みなげするしかない」……。身投げ。なかなか日常で出てこない言葉だなぁとちょっと感心した。使い方は合ってる。今まさに頭の中は様々な言葉と情報で日々いっぱいなんだろうな。

2018.11.3

本日は少し早い我が子の誕生会。今回のケーキはキャラクターではなく(例年キャラクターのダイカットケーキだった)「アタシもうおねえさんだから いちごのシンプルなケーキにする」とか何とか言っちゃって(でも、プレゼントにお願いしたのは幼児の遊ぶオモチャだったりするアンバランス加減)、可愛いのだった。お父さん、おじいちゃんからは図鑑や本をいっぱいもらい、おばあちゃんにはリクエストしていたドイツの映画、子供達がハチャメチャする「イチゴミルクのつくりかた」というDVD。オモチャは後日、我が妹から届くそう。大満足の彼女。本当におめでとう。そして毎日面白さと可愛さと幸せをありがとう。

2018.11.2

久しぶりに図書館へ。読みたい本があって、メモしていたのに、そのメモ忘れてくるという体たらく。しかも、書いたのなら少しは頭に入っていても良さそうなものなのに作家名はおろか、作品名も断片しか思い出せず。そして検索をかけるもヒットせず(通信機器も家に置いてきた為、術なし)。という事で書棚をつらつらと見て行く。そういえば、コレ読みたかったんだった!とか、新刊棚でも書評で気になってたんだ!というものに出会えて良しとする。眠いけど、読みたい自分の中の攻防が続く。

2018.11.1

初めてSHOZOカフェとその周辺に来た時(18、19歳だった)の衝撃は忘れられない。それを考えると、我が子なんかは、当たり前のようにSHOZOがあって、省三さんとも馴れ馴れしく(いつも申し訳ありません)、うちの店なんて、自分ちとでも思っている様子で、そういった意味では、全然特別感がなく、ある意味可哀想だなぁと思う。私が当時受けたあの気持ちを伝えるのはすごく難しい。でも、人によって何に衝撃を受けるか(そして、その後の生き方に多大な影響を及ぼすか)なんてわからないから、とにかく様々な体験をしてもらうしかない。