2019.7.10

携帯のボタン(ということは必然的にガラケーと分かる…)でどうしても押しづらいボタンがありメッセージする時には、そのボタンを押さなければならない言葉の“代替え語”とでも言うのか、それを考えながら打つのが習慣化していた。「きのう」と押したいけれど、「さくじつ」にするとか。そういうこと。しかし、ここ最近何もしていないのに急に回復し出して、スムーズに出来るようになりつつあり、少し寂しさを感じる。代替え語、考えなくてもういいのか…。

2019.7.9

日本列島に最初に移り住んだ「日本列島人」がどのようして海を渡ってきたのかというプロジェクト『3万年前の航海 徹底再現プロジェクト』がまた今年も、今度は台湾東海岸の烏石鼻から丸木舟で出発というニュースにロマンを感じずにはおれない私。昨年は竹で作った舟で挑戦していたが上手くいかず今回はスギの木。漕ぎ手は旧石器人になりきり、太陽や星を頼りに漕ぐといい、コンパスやGPSは持たずに与那国島を目指すそう。写真を見るだけで、想像するだけでなんでこんなにワクワクするのだろう。上手くいってほしい。

2019.7.8

初めてお話させて頂くお客様と、ひょんなことから大盛り上がりすることがある。今日もそんな日だった。あら?なんでこんな話しちゃったんだろう…とその方は恐縮していたが、むしろこちらこそ楽しいひと時でした。意外といつも近くにいる人には話せない(とはきっと思っていない)ような内容をポトっと落としていって頂ける場所であるならそれは本当に店冥利に尽きる訳で。

2019.7.7

子どもがお泊りしにいっていたので、一日ぶりに会う(たったの一日だけど)。帰ってくるなり私に悪態ついたり、生意気な口をきいたりしていたと思ったら、今度は抱っこ〜なんて言ってみたりして、ホントに小憎らしくても可愛いったらない。自分でもどうしたらいいかわからないような、そんな時期なんだろうな。俗に言う思春期か。そんな彼女とお風呂上がりは様々な発明品を考えて、それを絵にするという遊び。頭が固くて全然思い浮かばない私と、嬉々として絵に描いていく子ども。まだまだ頭が柔らかくて羨ましい。

2019.7.6

年に一回の学童大掃除の日。汗かきかき、保護者支援員同士和気藹々と掃除が済んだら、保護者会。支援員さん達から、普段の子供達の様子や改めて学童のモットーなどを聞く。また、春休み中に子供達に話した大切な話の内容も伺う。子供達が普段何気なく口にしているという「ふつう」についての話。自分と同じ人なんていない、声の大きい人もいれば小さい人もいる。どちらが良いとか悪いとかなんて無いよね、だってそれは“その人”なんだから。誰でも自分らしくいられる場所がこの学童であって欲しいし、困っている人がいたら子どもでも大人でも声をかけ合える場所でありたいと。不覚にも涙が…。

2019.7.5

今日は小学校で「インターネットと子供達との関わり合い」について総務省から講師をお招きしての勉強会。よく見聞きする事件や事故は全く他人事なんかではないし、加害者にも被害者にもなるのは紙一重という事もよく分かり恐ろしいことこの上ない。っていうか自分があまりにも無知すぎて今日は自分の為にも参加出来て本当に良かった…。しかしながら、子どもの年齢が上がるにつれ、ネットの関わり合いも深く、複雑になるのは時間の問題。結局はネットだろうが現実世界だろうが親子、友達、人との信頼関係の問題なのかもしれないなぁ。

2019.7.4

角幡唯介の講演会の記事を読む。『冒険も結婚も“選択でなく事態”』の見出し。そそられないわけがない。中で言っていたのは「選択の結果ではなく、自分の過去のふるまいや歩み、言動から生まれてきた事態である」「誰かや何かと関係性を結ぶなかで、思ってもみなかった事態が次々と生じていく。その事態を引き受け、新しい可能性に身を投じていくことこそ、自由な生き方じゃないかと思う」だからこれは大きな決断をしているように思える冒険や結婚のみならず、日々多様な人との関係にも言えることだし、日々の振る舞いや言動こそが(当たり前だけど)未来に繋がっている訳で、そう考えたら毎日は冒険そのもの、という事になる。ふーむ。面白い。

2019.7.3

何でもそうなのだろうけど、何かについて知ろうということは、その事象の周辺にあるものに敏感になることなのかもしれないと最近よく思う。だからひとつ勉強すると、今まではさらーっと通り過ぎていったことに微妙に引っかかる様になる。賢い人たちは若いうちから(それこそ学生時代から)当たり前の様にこんな事知っていたんだと思うけど、今気づいたからしょうがない(し、だから貪欲)。

2019.7.2

店に入ってきてすぐにレジへお会計に来てくださる人がたまにいて、そういう時はついつい話しかけてしまう。「一目見て気に入って」という人もいるし「以前から気になっていて今日はそれを目当てで」という人もいてどちらも嬉しい。後者の“今日はこれを買うぞー!”という気分ってどんなものなんだろう。数日前からワクワクしてくれているのかな?まだあるかどうか不安だったりもするのかな?そんな風に日常の中で少しでもうちの店の事を想ってくれる時間があるなんて、私幸せだな。(というのも、自分はなにかを決めて買い物するということがほぼ無いに等しい。いつも使っているものが切れたから買い足すという以外)

2019.7.1

先日子どもがご立腹していた日の夜、「お母さんも何か今日あったいやなこと話して」と言われたのだが、本当に、全く無く、むしろ嬉しいことしかなく、何かに尾ひれでもつけて話そうかとも思ったが、それすら無く、改めてなんて幸せなのだろうと思ったのだった。しかしながら過去には毎日嫌な事しかない、みたいな日々だってあった訳で、これはその時を乗り切ったご褒美として受け止めたい。子どもにもこれからうんと色んな思いをしながらも進んで欲しいと願う。(良いことも悪いことも)