2020.4.8

ようやく今日から我が子は再登校。始業式。ものすごーーーく楽しかったんだそうで、帰宅後マシンガントークに継ぐマシンガントークで、息継ぎしてる!?ってほど。久しぶりに会った友達、担任の先生が代わり、その先生情報に、大量の新しい教科書のこと、今年から入るクラブについて、明日からまた楽しみだ〜といって超ご機嫌。しみじみと学校、友達の必要性について思う。全くの自由、好き勝手には出来ないけれど、家に一人でいる自由と比べたら学校に規制があったって、それ以上の楽しさがあるんだなぁ。子ども同士の関わりの重要性。ありがたい事この上ない。このまま登校出来ますように。

2020.4.7

どうやら明日には都内近郊で緊急事態宣言が出るらしい、ということで、落ち着かない。考えれば考えるにつけ不安しかない。色んな意味での体力が、どのくらい自分にあるのかも未知。とは言え、先行きが見通せないものを今考えていても仕方ないので、今まで出来なかったこと、やろうと思っていてそのままにしていたこと、少しでも誰かの心が明るくなりそうなこと(というか、ひいては自分の為なのだけど)を考えることにする。まー出てくる出てくる。そしてコレを共有出来る人がいる喜び。どうにか踏ん張りたい。

2020.4.6

今日から短縮営業にしてみた。季節も相まって、こんなに明るい時間に帰る事が出来るなんて(と、少し喜んでみる)。子どもはお母さんが早くお迎えにきた〜!と言ってやっぱり嬉しそう。しかし、本当なら帰る事が出来ないくらい忙しい、というのが理想であり…。夜は小学校のPTAの集まり。久しぶりに学校で顔を合わせる保護者にホッとしたのも束の間。なかなか議題が進まず、悶々として過ごす。いつも一人で自由気ままにやっているから、この位は“お勉強”ということで。

2020.4.5

しかし、マスクって(自分に限っては)人をダメにするなー。ま、そんな事言ってる場合じゃ無いことは百も承知で。そもそもマスク着用の習慣が無いから余計に、なんだけど。まず、着けているだけで具合が悪くなった気になってしまう。更にあわよくば、ダラけそうになる自分がいる。顔半分だけ化粧すれば良いんじゃ無いかと思ったり、前夜にニンニク料理を食べても大丈夫なんじゃないかと思ったり、コソコソ店でも何か飲食してもバレないんじゃないかと思ったり…。私みたいにかなり自分に甘い人は、着用不向き。そんな自分に鞭打ってマスク着用頑張る(!?)

2020.4.4

こういう状況の中で店に立っていると、(こんな中でも立ち寄って下さる方がいるという嬉しさ)初心に帰ることが出来て、これはこれで必要な事なのかもしれないとも思ったりする。SHOZO時代、よくSHOZOさんが「今日がオープンした日だと思ってお客さんを迎えて」と言っていた。まさに今日はそんな気持ちで1日を過ごす。皆不安で、正解も無いし、行き先不透明、だからこういう時にこそ分かる事もあるのだなぁ(良い事も悪い事も)。

2020.4.3

新型コロナの猛威が迫る中、知り合いの都心の店や近隣の店などでも、休業したり、時間短縮営業したりする所が増えてきた。自分の思いや考えを表明する事も必要なのかもしれないが、毎日迷いながら立っているのが、正直なところ(だからちゃんと表明も出来ない)。そして、もっと言えば、本当はずっと開けていたい。しかし自分が無意識のうちに保菌しており、感染させてしまうかもしれないというリスクがあるという怖さ。どうしたら一番良いのだろうか…。答えは出ないまま。

2020.4.2

本日はお休み。学校の休校と学童になってからは毎日お弁当作りがあるため、どうにも“大仕事感”が強く、なかなか他の家事まで回らぬまま出勤、の繰り返し。で、今日は溜まりに溜まった洗濯物を洗う。自分なんて代わり映えのしないお弁当ではあるが、コレを何人分も、とか家族構成人数が多ければその分他の家事量もハンパない訳で、想像するだけで頭が下がる思い。とは言え、私のお弁当も最高に美味しそう!上手に出来たー!と自画自賛しながらどうにか頑張っている日々。

2020.4.1

今朝の天声人語から『人生を決定づける出来事の8割は、35歳までに起きているー。米国の心理学者メグ・ジェイさんが唱える説(省略)』と書いてあった。後々振り返ればきっとそういうことなんだろう。でもまだよく分からないような気もするし、全て繋がっている様な気もするし。幾つになってからでも、何でも遅いことなんて無いと思ったりもするけれど、刺激を受けやすかったり、すぐに反応出来たりするのは、きっと35歳位までなのかな?特に人との出会いなんかは。