2020.8.12

連休二日目。子どもも外出してしまい、一人でのんびりの休日。今読みたい本が(友人に借りたものも含めると10冊以上あり、この上なく幸せ)盛り沢山で、ちょこちょこ読みしているので、どれも終わりまで行っていない(というか終わらせたくないからこんな読み方をしている気もしてきたが)。風が涼しくて心地良かったので、今日もベランダ日和、という訳でアイスコーヒー片手に読書三昧。時々毛抜き。独身時代に戻った様。あー自分って何一つ変わっていないんだなぁと思った日。そしてもしかすると、こういう日が近づいているのかもしれないと思うと、ちょっとした寂寥感。

2020.8.11

今日から店舗はお休み。業者さんに店内の床塗りをしてもらうため、朝から什器移動など。意外にもスピーディに終わり、早い時間に学童へ迎えに行く。猛烈な暑さのため川遊びしたい気分。その足で河畔公園へ行くも、泳いでいるファミリー、BBQのグループなど割と人も多く(皆考えることは同じ)、鳥の目キャンプ場の方へ行ってみる。こちらの河原はのんびりムードで、ここなら良いねと、早速昨日購入の簡易テントを広げ、ノンアルのハイボール(車なので)。さっきより上流のためもっと水が澄んで綺麗。浅瀬にまでたくさんの稚魚がみえる。帽子も日除けも持たずに来てしまったので、焼けた気もするが、思い立って5分足らずでこんな場所でのんびり出来るなんて幸せだなぁとしみじみ思う。夏休み気分を味わった。

2020.8.10

昨夜のベランダご飯に気を良くして、今度はベランダで寝たいと言い出した我が子。一人用テントでも見に行くかという事になり、仕事上がりにドンキホーテへ。アウトドアでササっと広げられそうな簡易テントを購入し、帰宅後そそくさとベランダに広げ、布団など持ち込んで準備万端でワクワクの子ども、と思ったのも束の間。天敵の白蛾がテント内に入ってきたからさあ大変、大騒ぎからのちょいナーバス。外側から髪の毛一本入れないようにぴっちり洗濯バサミで止めてくれとお願いされ、その通りにするも、今度はカメムシのカサカサという音がコワイと言い、数分後には狭くて足が痛い、床が硬くて眠れる気がしない段々とナーバスに拍車がかかり、結局「やっぱり部屋でねる〜」。

2020.8.9

夕飯はどういう流れからだかベランダで食べようという事になり、猫の額ほどのベランダにスツールを置きトルティージャ、焼きおにぎり、スティックきゅうり、を並べてビール。この間子どもがガチャガチャで取った“すみっこぐらし”のキャンドルライトを置いたら何だかいい感じ。タイ土産で頂いたラベンダーの香りの蚊取り線香も焚く。なかなか日が暗くならず、「丸見えだよ〜」と子どもが言うも、食べているうちにあっという間に真っ暗になり、いい雰囲気。何故だか蚊もおらず、暑さもほどほどでいい気分。

2020.8.7

数日間【わからなさ】について考えている訳だが、考えてもみたら店での充実の日々はこの【わからなさ】があってこそ。誰が来るのかも、何が売れるのかも、自分の気分すらもわからない。話をしたお客様のことはもちろん“本当のところ”(って何?)“理解”など出来っこない。数ミリでもこちらと何かしら触れ合える部分があったらラッキー。コミュニケーション“能力”とか言って問われる昨今だけれどもそもそもコミュニケーションとは『他者や場との関係によって変わってくるはずのもの』(貴戸理恵「コミュ障の社会学」より)というわけだからいつだって欠けていて然るべきだという事実に安堵する。

2020.8.6

引き続き『わかりやすさの罪』を読みながら朝刊で東浩紀のインタビュー記事を読む。新型コロナでの『(欧州の哲学者が発した問題提起から)生き延びる命とは、社会とは』。“この世界的なリスクは国境を越えた連帯が生まれるチャンスという人もいるけれども、それへの対応は逆に国境で分断されている。(中略)【わからない】をベースに連帯するしかない。人々があたかも[自分には分かっている]かのような前提で互いの言動を攻撃しあう現象が、人も国家も孤立して、連帯が広がりにくい状況を生み出しているのではないか”という。ここでも【わからない】がキーポイントになっている。自分のことすらよくわからないのに、他人のことなんてわかるはずがない。すぐに分かったり理解したふりをしない態度こそが重要なのかもしれない。

2020.8.5

ずっと読みたかった武田砂鉄の『わかりやすさの罪』を読む。靄が晴れるような気分。あらゆる場面で、短時間且つ明瞭な説明ができる人をもてはやす様な風潮に一石を投げ、理由のあるもの、有効なものばかりを獲得するようになってしまった私たちを憂う。“人の心をそう簡単に理解してはいけない。そのまま放置することを覚えなければいけない。理解できないことが点在している状態に、寛容にならなければいけない。あまりに理解が混雑している。(中略)話の帰結のために言葉を簡単に用意しない。言葉は、そこから始めるためにある。終着を出発に切り替える作業は、理解を急がないことによって導かれるはずである”

2020.8.4

改善されて初めて知るストレスの大きさ。普段の何気ない動作にいちいち負荷がかかっていたのだなと分かる。店の棚を作ってもらったのだが、ハマった後のなんという爽快感。こんなにもストレスだったとは!更に扉まで付いて、スッキリ!もう一つはトイレットペーパーを替えること。替える手間と、芯がゴミになるのもストレスだったことが判明。大容量巻で解決。

2020.8.3

たまに店内での長居を詫びられる事があるのだけれど、むしろ一人でじっくりと居て下さるのは嬉しいしありがたいこと。それだけ見たり考えたり、想像したり、もしくは居心地が良いと感じてくれている証拠だとも思うから(分からないけど)。静かに見たいだけなのに、傍から私が話し掛けているかも知れず、そうだったら申し訳ない…。でも嬉しくてついつい…。

2020.8.2

本当に久しぶりに美術館へ。友人に聞いていてこの展示は見たいと思っていたのだが、想像以上にかなり刺激された、というか、(我が子を見ていても思ったが)私たち、ずっとこういう刺激を求めていたんだわー。休みでも生活必需品を買いに出るくらいのここ数ヶ月間だったから尚のこと。人の生み出すどうしようもないエネルギーや思いの丈、みたいなものはデジタルの画面からとは比べ物にならない事を身を持って知った。子どもは帰宅後もほんとに楽しかったね!楽しかったね!と何遍も繰り返し、カレンダーに漏れなく「さいこうな日!」と記入していた。