今まで使っていたHPサービスがあと数十分?で終了となる。奇しくも英国のEU離脱日と同じ日(大袈裟)。何かが大きく変わる訳ではないし、最近の使い方は、ただ、この日々の雑記を更新する位だったのでそんなに大きな感慨も湧かないような、新しいHPサービスになった事で、随分昔の自分の投稿を見る事にもなったりして懐かしさも込み上げてくる様な、何だか変な感じ。英国の人たちもこんな気持ちなのでしょうか(土俵が違い過ぎるだろ!という声が聞こえる…)
2020.1.30
久しぶりの井戸端婦人会。那須の山々に粉糖がかかったような真っ白の美しい景色と青空に見惚れ過ぎて事故りそうになる。早々に集合したものの、あれやこれやと話は尽きずとにかく時間が足りない!子供のこと、健康のこと、旅のこと、お互いのトンチンカンな失敗の数々の話、などなど。それぞれが日々を楽しみながら悩んでいるのが分かって笑えて笑えて仕方ない数時間。頬筋痛い。
2020.1.29
子どもの合唱部、【六年生を送る会】へ出席してきた。先生の作ったプログラム通り、進む会ではあったが、全員(と言っても20人いるかいないか位)での歌声は鳥肌もの。最後に二人きりの六年生からそれぞれ挨拶があったのだが、こんな風に何も(メモ等)見ず多勢の前で話せるのか…という感心と、気取らずに後輩達に“語るように”話す二人に感動の嵐。涙止まらず。我が子は何かにつけてこの二人の様になりたいと羨望の眼差しで部活動に参加していたから、寂しくて仕方ないだろうな。憧れが近くにあるって良いね。
2020.1.28
武田砂鉄と又吉直樹の往復書簡【無目的な思索の応答】を読む。なんでこんな風に言葉を拾いあげられるのだろうかと唸る。いくつか上げたいテーマだけでも「リアルってなんや」「偶然ってどこから」「不便を残す」「でしょー」「池谷幸雄である必然性」:人間の話って、起承転結があるわけではなく…(中略)話の構成要素が極めて少ない。相手の話にレベルを求める現在の態度こそ、想像力も話力も文章力も衰えているのではないかと、時折、落ち込むのです:他にも引用としてアナキストの大杉栄の言葉“自我の大部分は他人の自我である”というのも目から鱗。
2020.1.27
またしても救世主現る(忙しいでしょうに、すみませんと思うが命拾いした)。先日も友達と話をしていて、何か自分が分からない事や、苦手な分野があったとして、それをネット上で探すとか、教授してくれる人を探して対価を払う、そういった人も勿論いるし、それを生業にしている人だって多いけれど、自分たちにはその発想が無いよね、と。周りで誰かしらに声を掛けてみたら意外とどこかで繋がって、という方が顔がわかるし、安心だし、対価を払うのだって百倍良い気がする。しかし、私ときたら助けてもらうばっかりで申し訳ないのが正直なところ。
2020.1.26
久方ぶりの“ホム会”。ずいぶん前から、アレも話したい、コレも聞いて欲しいとメモ必携で参加(全くどうでもいい下らない内容なのだけど)。何というか、言いたい事の絶妙な伝わり具合が心地よいし、声を大にして言うほどの事じゃないけれど、このニュアンス分かって欲しいと思う事がちゃんと伝わるスッキリ感。それぞれの持つ悩みも、ぐちぐちーっと暗くならないのも良い。本日お借りした本を読むのも続く楽しみ。
2020.1.25
当店にささやかな期待をしてくれているというのが分かる、というかそれを何気ない会話の中から感じられ、心の中で感涙した日。ちょうど子どもが自主学習に【ネットでの買い物派と実店舗での買い物派】について調べていたりして、複雑な心境だったりするも(自分だってネットで買い物する訳で)、前述のような感覚は実店舗で味わえる醍醐味だったりするのかなぁと思う。一瞬の関係性がほんとに面白い仕事。
2020.1.24
ジェーン・スー“相談は踊る”という毎日やっているラジオの悩み相談を遡りながら聴きまくって早2017年分に突入。今どきはラジオクラウドでエンドレス(!?)に遡れて本当に便利。誰かの講演会とか聞きに行くより、このコーナーを聞いた方が絶対タメになりそう。そんな中、一緒に聞いている我が子が「アタシもスーさんに相談したいことがある」と言って、猛烈な勢いで便箋いっぱいに悩みを書いたから驚いた。親バカだけど要点がまとまっていて分かりやすく書けている。読まれたら嬉しいね〜。わくわく。
2020.1.23
使い慣れた(のかも不明だが)このHPも今月いっぱいでシステム終了につき、嫌でもどこかへ移動させなければならず、そんなことはもう一年も前から分かっていたのに、今更足掻く無計画甚だしい私。ホトホト自分が嫌になる。分からないなりに何かしら進めていかなければならないのに、現実逃避したりして、テスト勉強中に部屋の掃除を始めていた中学生の時から何一つ変わっていないと言う…。一日中何も進まず頭が三角どころか六角形になった日。
2020.1.22
帰宅した子どもが「これからご飯なのに気分悪くさせちゃうかもしれないけど…」と言って(何故かこういう気遣いをする我が子…)学校でとても嫌なことがあったと、話しながら泣き出してしまった。我慢していたのが決壊したような雰囲気で、聞いていたら本当に気の毒だったし可哀想だったね、と思うと同時に、これは冷静にならなくっちゃな、私、というのと、こんな風に起こった事を主観と客観で見られて、且つ分かりやすい説明が出来るなんて成長したのだなぁとこちらの感情もごちゃ混ぜ。私この年の頃、なーんも考えてなかった…。